2013.02

水と人権

第1部 全体講演 「地域の水をいかに守るか」橋本淳司氏 「流域」、その水がどうなっているか。中国では水が20年後になくなるといわれていて、中国資本が日本で水を買っている。日本は水が豊富だからいいじゃないか、と軽く考えているが、本当にそうか?例えば中国では、北京が大量の地下水を使うために、河北省の地下水脈が枯渇しつつあり、地盤沈下も起こっている。

山水

近年、日本でも企業によるボトル水事業の拡大など、地下水利用も増えている。飲料水メーカーが上流で水を汲むため湧水が減少し農業に影響が出てきた地域もあるが、メーカー側は「雇用と財源を生んでいるのだから自由に水を使わせてほしい」と言い、ルールがないから止められない。地下水は土地所有者に利用権がある。ところが、日本の土地制度は規制が緩く、誰でも相対で取引ができ、最終処分まで一任されている。また、林地の測量は大雑把で、地籍が確定していない土地が約5割もある。そうした中で地下水資源が狙われ、外資が森林を買収する、という問題が出てきている。今後を見据えて地下水保全のルール作りが非常に重要である。

地下水保全の条例は、全国に500ほどあるが、理念型で罰則のないタイプも多い。また規制型でも土地購入の届を提出するだけなど、水資源の保全に繋がらない条例もある。国も「水は公のもの」という法律の準備はしているが、だんだん骨抜きになっている。国任せではなく、水政策は流域単位で考えていかなければならない。流域の「見える化」が大切である。地下水は河川水と違って見えないが、見えた時には汚染や枯渇などの問題になっている。琵琶湖の下を流れる地下水、淀川の下を流れる地下水、みんな含めて流域の水である。すべて含めて保全することを考える必要がある。

地域の水を守るために、具体的にはどうすればいいのか。大分県豊後高田市黒土地区では、鉄とマンガンを含む濁り水を、市民が自主管理する小規模飲料水供給施設を使用してろ過し、生活用水として使えるようにした。このようにすべて都市型の大規模な水道施設を作る必要はなく、小規模な地方型と2種類あっていい。また、食べものと水との関係は、流域の水を守る最大のポイントである。水だけに特化して考えるのでなく、食べ物・森/エネルギー/水は、流域単位で考えればみんな繋がっている。水田は米を作るだけではない。水田に入ると公の水が地下水となって地域の水になる。田んぼは流域にとって大きなプラスで凄い働きをしている。地下水は地域のもの、住民のものとして、流域で表流水と伏流水を一体管理する、そこが重要ではないかと考える。

 

第2部 パネルディスカッション 山本氏「水を住民の手に取り戻す コチャバンバ(ボリビア)の水戦争を事例に」 南米ボリビアの第3都市コチャバンバは、水道が一日数時間しか出ない慢性的な水不足だったが、住民出資のコミュニティ共同の井戸などがあった。民営化後、貧困層では給料の1/4くらいにまで水道料金が上がった。コミュニティ共同の井戸も禁止されたため暴動が起き、2000年にはコミュニティ組織に水組織を移譲した。しかしそこにも汚職があり、貧しい人にとって状況は変わらなかった。社会の現在と未来について決定権を持つのは誰なのか。私たちこそが、私たちの暮らし、家族、友達や同僚を守る運動「Democracy」を持っているべきだ。
村上氏「琵琶湖のせっけん運動は、自立循環の暮らしづくり・まちづくりへ」

70年代のせっけん運動

琵琶湖淀川水系1,400万人、水を共同で使い、エネルギーも共同で使っている。滋賀は琵琶湖を中心に農業地帯、山林地帯と同心円状に広がっており、地域の中に上中下流がある。1970年代のせっけん運動は、合成洗剤による赤潮発生から始まった、暮らしを見直す運動である。アオコ発生による合併浄化槽運動は水の自主管理。菜の花プロジェクトは食とエネルギーの地産地消。遠くからエネルギーを取って地域で使って捨てる、という流れを変えていく。地域の中で循環する暮らしをどう作っていくのか。身近には雨水利用。大半の生活用水を雨水と再生水でまかなえる。
島氏「水道事業を経験した議員の立場から」 大阪府市統合、民営化を含めていろんな話が出ている。大阪府域水道という形で統合していくのがいいのでは、という検証結果が10年くらい前に出ていたが、政治家に水に詳しい人がほとんどいないこともあり、現状では議論ができない。政治的判断で一方的に進めていくのではなく、市民一人ひとりが、自分たちの水を安定して供給できる形になるかどうか、というのが問題だ。
北川氏「大阪の水道事業の現状と統合協議について」 大阪の水道は、3つの市浄水場と大阪広域水道企業団3施設、各市町村等45施設があり、経営状況は経常黒字。その中で、企業団に大阪市水道局を統合させる、との橋下マニフェスト以降、検討が重ねられている。労働者側としては、危機管理面での視点も踏まえた統合議論も必要だと思う。また、住民の意志、参画なしに運営形態を変えていくことはあってはならないと考える。
橋本氏 水道ってそもそもなんだろうというところに立ち返ってもいい時期ではないか。水道は町が広がっているときには安定し、利益も生まれる。しかしまちづくりが終わると安定と維持だけになってしまう。今の仕組みを続ける限り、拡大していかないと維持できない。日本の自治体も上下水道技術の売り込みを図っているが、非常に競争の激しい分野。しかもやり始めると永遠に拡大していかなければならなくなる。今の水道事業の在り方でいいのか、別の方向を模索していくのか。水道として新しい何かができるタイミングではないだろうか。
佐久間氏

蛇口

資本主義の中で「成長しなければならない」という仕組みを持っている民間企業が、自治体の中にまで普遍化していくプロセスがあるのではないか。持続可能な方法で水・地域と付き合うということを考えるとき、Democracyの方策とはどんなものがあるのだろうか。住民の意見を取り入れる、市民が主体的に関わる方法についての取り組みについて伺いたい。
山本氏 自分たちが口にするもの、身に付けるものを他人に預けていることに慣れきっている社会。水や食べ物が作られている場に行って、それがどこから来るのかを体験することが大切だ。
島氏 25年くらい前に、琵琶湖から浄水場までの流れを逆流して見に行った。地域の方々に自分のところの水道について理解をしてもらうことが目的だった。
北川氏 水というものを市民に分かってもらう機会が必要。世界の循環の中のものだということも理解してもらう必要がある。
橋本氏 市民が水の消費者になってしまったことが一番のボタンの掛け違え。本来、水は自分で確保するものだったのが、使う立場になってしまった。「おいしい」「やすい」に加えて「プロセス」を見つけてもらい、「水リテラシー」を持った市民になってもらうことが必要。
会場 「自分たちで自分たちの決定権を持つ」と考えたときに、どういうことができるのか?
山本氏 「決定権とは議論をする場に入ること」。対話が一番。目に見えた形にはならなくてもそうしたことを重ねていかなければならないと感じている。
橋本氏 決定の機会は実は多いのでは。水道事業委託の市民会議では、水道事業者が委託企業を選ぶときに市民が何人か議論に参加している。しかしそこで何を聞いたらいいか、どう評価したらいいかが分からない人が多い。市民の代表たる議員も同じだ。まさに水リテラシーを持つことが、そうした場を活かすことになる。
佐久間氏 新自由主義的な学識経験者がいるだけで、市民参加にされてしまうこともある。市民参加でも、ほとんど決める部分が無いこともある。その点も踏まえ、決定権に近づくためにできることを考えていく必要があるだろう。

2013.02//報告 : 渡里 祐子・澤口敬太
(NPO法人 AMネット)