2013.05
TPP/規制緩和
TPPが医療制度に及ぼす影響について
『 LIM第67号 』(2013年05月発行)
<寄稿原稿>
京都橘大学 現代ビジネス学部准教授
市民と政府のTPP意見交換会(大阪)有識者
高山 一夫 さん
薬価・材料価格への影響
TPP(環太平洋パートナーシップ協定)が医療分野に及ぼす影響として、この小論では、薬価制度の改変による薬価・材料価格の高騰と、知的財産権の保護強化がもたらす問題との2点について、検討したい。
TPP協定が医療分野にもたらす懸念の第一は、薬事制度が改変され、薬価や材料価格の高騰が生ずることである(注1)。現行の日本の医療制度では、薬価や医療材料の価格はそれぞれ薬価基準、材料価格基準において公定されている。
米国は、日本に対して、薬価基準・材料価格制度の見直しを、繰り返し主張してきた。
例えば、2011年2月の日米経済調和対話では、医薬品分野に関して、@新薬創出・適応外薬解消等促進加算の恒久化と加算率上限の廃止、A市場拡大再算定ルールの廃止、B外国平均価格調整ルールの改定を、また医療機器分野においては、@外国平均価格調整ルールの廃止、A大型医療機器に対するC2(新機能・新技術)区分による保険適用などを、米国は主張した (注2)。
医療制度に詳しくない読者のために、薬価制度について、簡単に補足をしたい。
米国が恒久化すべきと主張する「新薬創出加算・適応外薬解消等促進加算」とは、新薬の薬価を維持する仕組みである。
日本の薬価制度では、基本的には2年に一回の薬価改定のたびに、薬価が引き下げられる。
ただし、@薬価収載後15年以内で後発医薬品が上市されていない、A市場実勢価格と薬価との乖離率が、薬価収載されている全医薬品の加重平均乖離率を超えないこと等の条件を満たす新薬に対しては、市場実勢価格に基づいて算定された薬価に0〜5.14%を加算し、B後発医薬品の上市後は加算分も含めて一括して引き下げる仕組みが、本加算である。
2012年改定において加算要件を満した品目は702品目(367成分)、加算により薬価が維持された品目は542品目あり、後発品のない先発品全体の35%を占めたという。
対象品目を有する企業は全部で65社あり、その上位には、グラクソ・スミスクライン、ファイザー、MSD(メルク)、ヤンセンファーマ(ジョンソン&ジョンソン)、ノバルティス・ファーマなど、外資系のビッグ・ファーマが並んでいる (注3)
新薬創出等加算とは対照的に、米国が撤廃・改正を求めている「市場拡大再算定ルール」と「外国平均価格調整ルール」とは、いずれも薬価を引き下げる仕組みである。
市場拡大再算定ルールとは、薬価収載後10年以内の新薬を対象に、年間販売額が予測額の2倍以上で、かつ年間販売額150億円以上の医薬品に対して、薬価を最大25%(類似薬効方式の場合は最大15%)引き下げるルールである。
また、外国平均価格調整ルールとは、米、英、独、仏の価格の平均額と比較して、外国平均価格の1.5倍を超える場合は引き下げ調整し、外国平均価格の0.75倍を下回る場合は引き上げ調整するルールである。
いずれも薬価を調整する仕組みであるが、しかし市場拡大再算定ルールの適用をみると、2012年度改定では、セレコックス錠(アステラス製薬)やリリカカプセル(ファイザー)など、48品目(16成分)に限られている。
外国平均価格調整の場合は、そもそも薬価が引き上げられるケースもあるほか、比較対象となる外国薬価には薬局マージンが含まれており、調剤技術料を含まない日本の薬価と比較すること自体の問題点も指摘されている(注4) 。
TPP協定交渉の状況について、政府が公表した分野別状況によれば、医薬品及び医療機器は、「制度的事項(法律的事項)」の交渉分野において取り扱われ、「医薬品及び医療機器の償還(保険払戻)制度の透明性等を担保する制度を整備し、手続保障を確保すること(関係者への周知、プロセスの公開、申請者の参加等)について提案をしている国がある」とのことである(注5)。
すなわち、TPP協定交渉においては、医薬品・医療機器は、関税(物品貿易)の問題ではなく、薬価制度の問題として、議論されているわけである。
自由薬価制をとる米国とは異なり、日本のように公的医療保険制度の枠組みが確立している国においては、薬価や材料価格が上がっただけ医療費が高くなり、患者の自己負担が増えることにつながる。
あるいは、医療費抑制政策との照応を図る観点から、むしろ新薬等に対する保険外併用療養費制度を拡大することで、薬価高騰に係る負担をすべて患者・家計に転嫁する恐れもある。
費用負担を原因として受診や処方の抑制が生じるならば、国民皆保険を支える理念である医療の公平が損なわれかねない。TPPが医療制度に及ぼす懸念の第一は、この点に存する。
知的財産権の保護強化がもたらす問題
TPP協定がもたらす懸念の第二は、知的財産権の強化に関わる。先の分野別状況によれば、知的財産に関して、WTOのTRIPS協定を超える水準での保護が議論されているという。
また、個別項目として、医薬品関連が含まれており、「医薬品のデータ保護期間」などが議論されているとのことである (注6)。
データ保護期間(data exclusivity)とは、TRIPS協定の39条によれば、新薬の作成で作成を義務付けられた「相当の努力を必要とする開示されていない試験データ」、すなわち治験や臨床試験に関わるデータに対して、それを保護する規定である。
データ保護期間中は、新薬メーカーの同意がない限りは、ジェネリック医薬品製造業者は臨床試験データを用いることができない。
すなわち、ジェネリック薬の承認を受けるためには、新薬メーカーと同等の臨床試験を行わなくてはならず、実際上は、ジェネリック医薬品を製造することができなくなる。
米国では新薬に対して5年間、バイオ医薬品の場合は12年のデータ保護期間が設けられている。日本の薬事法にはデータ保護という概念はないが、薬事法14条4において、8年間の再審査期間が設けられている。
知的財産権に関して、いまひとつ留意すべきは、特許の対象範囲である。
TRIPS協定の27条は、特許の対象として、@物質特許と製法特許の双方を含むこと、A輸入品も特許の対象であること、B加盟国が選択すれば、「診断方法、治療方法及び外科的方法」を特許の対象から除外することができる旨、定めている。
特にBのうち、人間に対する診断、治療、外科的方法に関して、TPP交渉参加国である日本やカナダ、ニュージーランドなどは、特許の対象外としている。
対照的に、米国においては、不特許事由に関する規定は設けられておらず、「新規かつ有用な方法、機械、製造物若しくは組成物、又はそれについての新規かつ有用な改良」であれば、特許保護の対象とされる。豪州も米国と同様のようである(注7) 。
医療行為に係る米国特許として、「角膜の表面再生方法」(米国特許第6063071号)、「不安を低減するための特定のはり療法ポイントの表面刺激」(同5950635号)、「放射線照射方法と照射範囲の運動を考慮した装置」(同5538494号)、「HIV治療のための非致死性コンディションング法」(同6039684)などの事例があるという (注8)。
ただし、米国においては、特許を侵害する行為であっても、それが医師による医療行為である場合には、当該医師又は関与する医療機関に対して、差止請求や損害賠償を適用しないこととしている。
その背景には、1993年の白内障の手術方法を巡る特許権侵害訴訟(結果は和解に相当する同意判決)をうけて、1996年に米国特許法が改正され、その287条(c)(1)において、医師等の医療行為が免責される規定が設けられたためである。
米国内では一応、医療行為関連特許については損害賠償請求を免責されることとされている。
しかし、TPP協定の知的財産において、医療関連行為に対する特許それ自体が認められることになれば、従来それらが禁じられてきた日本の医療現場に対して、相当の混乱を招きかねない。
この小論では薬価制度と知的財産のみを取り上げたが、それ以外にも、衛生植物検疫、越境サービス貿易、金融サービス、投資など、医療制度に影響を及ぼすことが予想される分野が、TPP協定交渉には数多くある。それだけに、今後とも交渉のゆくえには、十分な注意を払う必要がある。
(注1)二木立「安倍首相のTPP交渉参加表明と医療への影響を読む−2年半のTPP論争の成果にも触れながら」『文化連情報』422号、2013年5月、18-21頁。山一夫「TPPと医療のゆくえ」『月刊保団連』1112号、2013年1月号、53-55頁。 (注2)United States- Japan Economic Harmonization Initiative(2011年2月) (注3)「薬価基準改定の概要」厚生労働省ウェブサイト(http://www.mhlw.go.jp/bunya/iryouhoken/ iryouhoken15/dl/gaiyou_yakka_2.pdf) (注4)全国保険医団体連合会「『公正で透明な薬価制度改革』のための要望書」(2012年11月8日)。 (注5)内閣官房他「TPP協定交渉の分野別状況」(平成24年3月)」、内閣官房ウェブサイト(http://www.cas. go.jp/jp/tpp/pdf/1/20120329_1.pdf)。 (注6)同上。 (注7)特許庁「我が国と各国の特許制度比較〜医療分野〜」(平成20年11月25日) (注8)産業構造審議会知的財産政策部会特許制度小委員会医療行為WG 第2回医療行為WG資料2(http://www.jpo.go.jp/cgi/link.cgi?url=/shiryou/toushin/shingikai/sangyou_kouzou.htm)
2013.05/報告 : 高山 一夫
(京都橘大学 現代ビジネス学部准教授 市民と政府のTPP意見交換会(大阪)有識者)