2021.08

食と農

 パンデミックに陥った世界の食事情をまとめた国連食糧農業機関(FAO)報告書 1 は、 飢餓が着実に悪化している状況を示した。2020年に世界の飢餓人口は多くて1.6億人増加したと推計され、 現在、7億2000万人-8億1100万人が飢えに苦しみ(face hunger)、 20-23.7億人が適切な食を確保できない食料不安に面している(food insecure)。 世界で30.4%、つまり3人に1人近くが、満足な食を安定的に確保できていないということだ。

 日本でも「満足に食べられない」話は普通に聞かれるようになった感がある。 今年(2021年)夏にNPO法人キッズドアが発表したアンケート調査 2 では、 パンデミックによって「食事のおかずを、より安いおかずにするようになった」「食事の質(栄養バランス)が悪くなった」 「食事のボリューム(量)が減った」と多くが回答している。 主に困窮世帯を対象とした調査とはいえ、食事に関して特に変化なしと答えたのはたった8%。 子どもたちの成長に取り返しのつかない影響が出る恐れがあるほど、 現在の日本社会で食事の質や量が悪化している状況が示された。 また食事のみならず、子どもの学習環境の悪化や希望する進路に進めない恐れ、 保護者の心身の健康状態にも大きな影響が出ていることが報告されている。

 私自身、大学近くの食料支援プロジェクトにボランティア参加させてもらったとき、 山のように積み上げられた食料や生活用品が、あっという間になくなる様を目撃した。 ごく普通の学生たち--おかしな表現ではあるが、小綺麗でそのまま教室で会えば生活に困っていることなど感じさせないような学生たち-- が開始時間とともに押しかけ袋一杯に食料を詰めて持ち帰って行く。 貧困が見えにくくなっているとはこういうことかと実感した。 また、京都のフードバンクの活動に参加させてもらったときには、スタッフからこう教えられた。 まず満たすべきは、支援につながったという安心感、次にカロリー、最後に可能であれば栄養的な食事のバランスだと。 まだ数回、仕分け作業に参加しただけだが、食べられるけれどロスとされた食品が提供されている一方、 シーチキンや鯖の缶詰が「1食」に数えられる、 むしろめったに入手できないタンパク質と喜ばれる、そんな世界だった。

 世界でも日本でも、食料が不足しているわけでは決してない。同じくこの夏に発表されたOXFAM報告書 3 は、 飢餓を悪化させているのは、3つのCだという。Conflict(紛争)、COVID19(パンデミック)、 そして、Climate crisis(気候危機)だと。そのため、世界で毎分11人が飢えで命を落としていると。

 日本では余所事のように感じてしまう人も多いかもしれないが、世界各地で紛争は続き、 人々は、家や畑や仕事から引き離され生活の糧を失い食べられなくなる。 紛争からの逃避行では、食どころか命すら危ういだろう。 また、気候危機についても相変わらず日本での危機感は薄いように感じるが、 英語圏のニュースに耳を傾ければ、酷暑、洪水、干ばつ、竜巻などの異常気象に加えて、 世界的に大火事が広がる「メガファイヤー」や、アフリカからアジアに大陸をまたぐバッタの大発生や、 干からびた米国西部の現状などなど、次から次へと報道されている。

 欧米という、ある意味世界を率いてきた大国の人たちの日常が脅かされたからこその注目度アップかもしれないが、 気候危機が大問題との危機感は着実に高まっている。日本ではかろうじて、 IPCCが「地球温暖化の原因は人間の活動と初めて断定」 したことはニュースになっていたけれど 4

 私は英語くらいしか理解できないが、ネットでニュースや講演を聞いていると、海外では、 パンデミックと気候危機と資本主義の行き詰まりがセットで語られていることが多いと感じる。 相変わらず狭い視野の日本と比べてしまいつつ、海外では、パンデミックも気候危機も、 その原因は資本主義システムにあるとの認識が広まっているのではないだろうか。

■すべて山積する問題は「資本主義的には」上手くいっている!?  そもそもパンデミック前の「元の世界」に山積していた、食、農、環境、貧困、格差、地域などの問題は、 資本主義のシステムとしては真っ当な成果だという。この考えは、市民社会向けに書かれた「資本主義のガイドブック」、 Holt-Gim?nez, E. (2017) A Foodie's Guide to Capitalism: Understanding the Political Economy of What We Eat, (Monthly Review Press: New York)から学んだ。

 食と農の分野でいえば、世界に広がりすぎたグローバル・フード・サプライチェーンについても、 生産や加工、流通の現場で移民・海外労働者、パートや学生たちを安くこき使う労働問題も、 現在の工業的農業や畜産が気候危機の一大要因になっていることも、 日本の自給率が低いことも高齢化が進んで担い手がいないことも種子の問題も、 すべては「資本主義的食料システム(capitalist food system)」としては、真っ当な成果だといえるだろう。 資本主義は、人の健康も幸せも自然環境も切り捨てて、お金で測ることができる利潤のみを追求し続けるシステムなのだから。 企業が儲け「経済成長」するほど、切り捨てられた人や自然が壊れていくのは当然というわけだ。

 「経済成長」の指標に使われる国内総生産(GDP)は人の幸せなど加味していないこともずいぶん前から知られていたことだった。 自然を破壊する開発や人を殺す武器の生産などはGDPに計上される一方、 子どもの健康や人の幸せなどはGDPに計上されないと、 ロバート・ケネディーが演説したのは1968年だった 5
 『肥満の惑星』(2011) 6 という本は、経済成長をGDPで計っていると、 食品を過剰に生産して過剰に消費(食)すれば経済成長!多くの人が不健康になって医者にかかれば経済成長! ダイエット食品や健康食品が売れれば経済成長!となることを指摘し、 肥満(食生活由来の不健康)や気候危機の要因に行き過ぎた経済成長があると主張していた。

 その逆に、家庭菜園で有機栽培した野菜を、自分で料理して、おいしく健康な食生活をすることは、 人と自然がハッピーになれてもGDPには計上されず、経済成長につながらない。
 そもそも「経済成長」とは何か?

 私は昨年(2020年)6月、この会報LIM95号に「パンデミック時代に考える食と農」を寄稿した 7 。 それから1年間、「アフターコロナ」「ポストコロナ」など今後を語るさまざまな論調を片耳で聞きつつ、 私は逆に数百年の歴史をふり返り、食から学ぶ資本主義経済の歴史についてジュニア新書にまとめていた。 産業革命、世界恐慌、戦争、グローバリゼーションと「金融化」まで、資本主義経済の成り立ちとカラクリをふり返り、 経済成長とは、「経世済民」とは、改めて考えることができた。

 その上で日本のニュースを聞くと、GoToだのオリパラだの、資源を有用に使うことから逆行している姿ばかりが目につく。 「経済学とは、社会がその希少な資源をいかに管理するのかを研究する学問」という教科書的な定義を考えても、 「経世済民」とは、世の中を治め人民の苦しみを救うことという語源に戻っても、 命か経済かという二項対立ではなく、命を救うために限られた資源をいかに有用に使うかと考えるのが本来の経済だろうに オリパラについても人の移動や「密」による感染リスクが大きく取り上げられたが、それ以前に「安全安心な大会」「万全な対策」のために、 どれだけの資源がコロナ禍対策や貧困救済から引き裂かれたかを考えると腹立たしい。

■商品としての「交換価値」と、人と自然に有用な「使用価値」とを区別する  そんなことをモヤモヤと考えていたころ、斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』 (集英社新書) を読んでみると、 「価値と使用価値の対立」として、この辺の違いをきれいに説明してくださっていた(p.247)。

 空気や水など、また「入会地」「コモンズ」と呼ばれる共有地や自然環境などは、 人々の要求を満たす「使用価値」(有用性)、言い方を変えれば「富」を持つ。 これに対して市場で他の商品と交換しうる商品の値打ちである「交換価値」(経済用語では「価値」とも)は、 多くは貨幣で測られ、市場経済においてしか存在しない。 しかし、この交換価値こそが、産業革命以降の資本主義経済の歴史において、もっとも重要な価値として、 それを増やすことが企業の利潤や政府の経済成長として尊重されてきた。 そして、自然や地域社会が長い年月をかけて築いてきた共有の「富」を横取りしながら私的な「価値」を無限に増殖させていくのが 資本主義的生産である。そのため、お金で計られる「価値」を増やすために、人や自然にとって有用な「使用価値」や 「富」を削り取っていくのは当然のこと。いいかえれば、「経済成長」すればするほど、 人の幸せや自然が破壊されるのは、資本主義的システムとしては当然のことかもしれない。

 この@「使用価値」に重きを置いた経済への転換に続けて、斎藤さんは、A「労働時間の短縮」、 B「画一的な分業の廃止」、C「生産過程の民主化」、そしてD「エッセンシャル・ワークの重視」という5点を、 『資本論』に秘められた真の構想だと紹介している(p.299)。  私なりに解釈すれば、モノがありあまっている社会で利潤追求・経済成長を主目的とした「必要のないもの」 の生産を止めて@「使用価値」を生産するために限れば、社会全体の総労働時間は大幅に削減できる。 単純に労働時間を削減するというより、不要な生産を減らすことでA「労働時間の短縮」を実現し、 生活の質を向上させる。その労働もB「画一的な分業」を廃止し、労働の創造性を回復させる。 精神労働 vs. 肉体労働や、都市 vs. 農村などの対立を克服し、利益よりもやりがいや助け合いを優先させ、 経済成長のための効率よりも人間らしい労働を取り戻す。その際、使える科学や技術は活用して、 でも、C生産手段を「コモン」として民主的に、「アソシエーション」によって共同管理する。 知識や情報も「コモン」として社会全体で共有活用できるようにする。

 使用価値、つまり人の生活や社会における有用性を重視すれば、当然D「エッセンシャル・ワーク」を 重視しなくてはならない。多くのエッセンシャル・ワークは手間がかかる、 人間が手がけた方が望ましい労働集約型だから、ここに雇用が生まれるだろう。 使用価値を重視すれば、現在のクソくだらない仕事である「Bullshit Jobs」が高給取りで、 社会の再生産にとって必須な「エッセンシャル・ワーク」が低賃金かつ恒常的な人手不足という状況を逆転できるはずだ。

 似たような「今後目指すべき世界」は、ナオミ・クラインも動画で表現していた。 「A Message from the Future II: The Years of Repair」 8 という、 未来からパンデミックの現在をふり返った「今後の世界」を描いた動画がネット上にアップされている。 近未来の2023年に、まだ酷暑や洪水や干ばつなど異常気象は続き、バッタもCOVID-23も猛威を振るい続けている。 その中で「恐竜」たちは相変わらず「経済成長」の呪文を唱え続けていたが、やがて人々は立ち上がり、 何が「エッセンシャル」かを問い直し始めた。エッセンシャル・ワークである、食や農、保育教育や介護、 公衆衛生を中心に経済を再建すると、雇用も増え、精神的にもゆとりが生まれ自然環境も再生したという。 目指すべき今後の世界を描いている。

 これは夢物語だろうか。いや、何が本当に大切なのかを見直せば、価値基準を変えてみれば、 実現は不可能ではないだろう。人の生活とそれを支える自然環境のために限られた資源を活用するならば、 この地球は世界人口を養うことはできるはずだ。そのためにも、現在の、食の問題、パンデミック、気候危機、 経済成長などの問題を個別に見るのではなく、そのすべてが基づく資本主義経済の問題の一部として見ることが重要だろう。

 資本主義というと、未だに古い偏ったイメージで身構える人も多いが、英語圏ではかなりの頻度でcapitalismが 普通に語られている(私が聞く論者がDavid HarveyやNaomi Kleinなど偏っていることは否定しないが)。 日本でも、若い世代は(昔を知らないが故に)「資本主義」という言葉に抵抗感は感じられない。 私自身、政治や主義には疎い方で、ただ、現在の食の問題を考え、なぜこうなったかと考えたら、 今の経済の仕組みがおかしいと気づき、 その経済の仕組みがたまたま「資本主義」という名のシステムだったという経緯にすぎない。

 こんな思いも込めて、好きでも嫌いでも、とりあえず私たちが生活している世界のオペレーティングシステムを 知ってもらいたいと、私なりの食べものから、資本主義経済の成り立ちとカラクリをまとめた。 ジュニア新書といいつつ、じつは市民社会で活動している大人を対象に書いたつもり。 この小さな一冊が、今の世界を見極めて今後を考えるための一助となることを願っている。■

【新刊書ご案内】 小麦粉、砂糖、油、トウモロコシ、豚肉・・・食べものから「資本主義」を解き明かす!

なぜ、こんな世界になってしまったのか。気候危機とパンデミックをかかえて生きる人たちに。 食、農、環境、健康、格差、地域など、すべての社会問題の根底にある「資本主義」の成り立ちとカラクリを、 産業革命、世界恐慌、戦争、グローバリゼーションと「金融化」まで紹介。 身近な食べものから世界経済の歴史を学べば、人も自然も壊さない「経世済民」が見えてくるだろうから。

平賀緑 『食べものから学ぶ世界史 人も自然も壊さない経済とは?』 (岩波ジュニア新書937) https://www.iwanami.co.jp/book/b584818.html □目次 はじめに 
序章 食べものから資本主義を学ぶとは
1章 農耕の始まりから近代世界システムの形成まで
2章 山積み小麦と失業者たち(世界恐慌から米国中心世界の成立まで)
3章 食べ過ぎの「デブの帝国」へ(戦後-1970年代までの「資本主義の黄金時代」)
4章 世界の半分が飢えるのはなぜ?(植民地支配-1970年代「南」の途上国では)
5章 日本における食と資本主義の歴史(19世紀の開国-1970年代)
6章 中国のブタとグローバリゼーション(1970年代-現在)
おわりに 気候危機とパンデミックの時代に経済の仕組みを考え直す
【文末注】 1 FAO(国連食糧農業機関)「世界の食料安全保障と栄養の現状」2021.
http://www.fao.org/publications/sofi/2021/en/"
2 NPO法人キッズドア 2021年7月23日 2021年夏緊急提言に向けた「困窮世帯調査」のご報告
https://kidsdoor.net/news/2021/07/23/調査/
3 OXFAM "The hunger virus multiplies" 2021.
https://www.oxfam.org/en/research/hunger-virus-multiplies-deadly-recipe-conflict-covid-19-and-climate-accelerate-world
4 例えば、NHK、「地球温暖化の原因は人間の活動と初めて断定 国連IPCCが報告書」2021年8月10日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210809/k10013191801000.html
5 Robert F. Kennedy, Remarks at the University of Kansas, March 18, 1968.
https://www.jfklibrary.org/Research/Research-Aids/Ready-Reference/RFK-Speeches/Remarks-of-Robert-F-Kennedy-at-the-University-of-Kansas-March-18-1968.aspx
6 Garry Egger and Boyd Swinburne, Planet Obesity: How We're Eating Ourselves and the Planet to Death. (2011)
7 字数調整なしの著者原稿はこちら。
http://am-net.seesaa.net/article/475477575.html
8 “A Message from the Future II: The Years of Repair” The Intercept (Naomi Klein) https://www.youtube.com/watch?v=2m8YACFJlMg&t=2s
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「修復の年(Years of Repair)」を示す一画面

  2021.08/報告 : 平賀 緑   
(NPO法人 AMネット 理事、京都橘大学)