2020.06

食と農

COVID19パンデミックによる食と農への影響について、メディアでも取り上げられている。 「自粛」要請された外食産業が影響受けていること、宴会用や給食のための食材が無駄となってしまったこと、 そのため政府が「お肉券」など導入しようとして頓挫したこと。 また生産現場では、安い労働力として依存を強めていた外国人「研修生」が来日できず農作業や出荷作業が滞っていること、 外食産業で多いバイトが消えて学生たちも困窮していることなどなど。 そして「食料」輸出国が輸出制限したことから自給率4割の日本に警告が発せられた。 世界に目を向けると、4月頭にはFAO、WHO、WTOが世界的な食料不足の恐れを警告している。 海外でも移民労働者が動けなくなったため農業生産・出荷作業も滞っている。 もとから劣悪な労働条件だった食肉処理工場では、米国で2万人、ブラジルで数千人が集団感染するなど、 食料サプライチェーンの行き詰まりが懸念されている。しかし食料の不足より、 それ以上に、パンデミックによる貧困化・経済的影響による飢餓が懸念されている。

これが「アフターコロナ」に人とモノの流れが復元されて、元の食料システムを復活できればすべてOKだろうか? そもそも、なぜ、ここまで寸断されるほど食のサプライチェーンが世界中に引き延ばされ、 「不要不急」を控えたら無駄になる食材がこれほど増やされていたのか。

食の国際貿易とグローバル生産体制を押し進めてきた歴史 これほど危機に弱い食料供給体制は、比較優位理論で生産を特化し、その国際貿易を押し進め、 労働力には季節労働者や外国人労働者を使ってコスト削減するなど、過去半世紀にわたり「効率性」を求めてきた結果だという(J.Clapp)。 1980年代から途上国に対しては構造調整計画(SAP)を押しつけ、人々の口に入る食べものより輸出して外貨を稼ぐ商品作物の生産を 押し進めたこと。GATTウルグアイラウンドからWTO成立につながる農業分野の交渉の結果、「農業に関する協定」によって 農業と食料が自由貿易体制にがっちり組み込まれたこと。加えて、租税回避や経済の金融化が、タックスヘイブンを組み込んだ 国際貿易や企業の多国籍化、 さらに農地や食料の金融商品化を押し進めてきた。今日世界では、生産された食料の約4分の一が 国境を越えて貿易されるという。

日本に関しては1985年のプラザ合意とそれに続く「前川レポート」によって「開発輸入」や食品企業の海外進出が、 食のグローバル化を一段と拡張した。 加えて、近年のTPPや日米、日EUなど自由貿易協定の数々によるさらなるグローバル化を推し進めていた最中だった。

結果、生産から消費まで長く伸びきった食料サプライチェーンが発展していた。 「効率性」を高めるため特化した生産や加工現場は生産量や生産物を変更しづらく、 寡占が進んだチェーンの一部が寸断されるとチェーン全体が行き詰まる、危機にもろい食料システムとなってしまった。

付加価値を追求してきた「不要不急」の食 学生たちにネット越しで様子をうかがったところ、居酒屋系のバイトは消滅して困っているが、 逆にピザやファストフード、スーパーのバイトは忙しくなったとのこと。ここから「不要不急」の食と、「必要」な食とが対比されて興味深かった。

利潤を得るために、基礎的な食べものより、「高付加価値」な食品への転換が促される。牛肉1kgを生産するためには穀物9kgが必要だから 環境コストが高いとしばしば非難されるが、これは裏を返せば、穀物9kgを出荷するより牛肉1kgに変えて出荷する方が 「付加価値」がつくからという、利潤追求と経済成長の戦略でもある。草や畑の残さや庭の虫を食べていた牛や豚や鶏(庭鳥)を閉じ込めると、 外部から穀物など飼料をインプットする必要に迫られる。裏を返せば、 補助金漬けで過剰生産した大豆やトウモロコシの価格を維持し市場を拡大するため、加工型畜産を組み合わせると都合良いとも考えられる。

日本の農業生産現場におけるコロナ禍を特集したTV番組でも、今まで「強い農業」のために政府が押し進めてきた、 より高付加価値化にとりくみ、より輸出向けに力をいれていた生産者さんが、今一番コロナ禍の影響を受けていると報道していた。 だから日本の牛肉生産者を支えるために「お肉券」との発想に至るわけだ。

覚えておきたいのは、このような「不要不急の食」は、消費側にとっては不要不急で自粛可能かもしれないが、 その生産者にとっては生活のため必須だということだ。その意味では、販路が絶たれた牛肉生産者や、 居酒屋でのバイトを失って困窮している学生たちのたちまちの生活を支援することは必要だろう。 現場のある農林水産業、物流、小売、外食産業などリモートワークできない食料システムの各段階で「必要な食」を支えてくれている、 普段から安く使い倒されてきた多数の労働者についても、スタッフへの感染の危機と併せて労働条件の見直しが求められる。

ただ同時に覚えておきたいのは、パンデミックの前から、肉や油や加工食品を多用する現在の 食料システムは、地球の環境も人の健康も破壊していたことだ。大豆やパーム油の増産が原因と目されている アマゾンやインドネシアでの森林火災や、気候変動サミットに行って嬉しそうにステーキを食べて世界の冷笑を買った環境大臣など、 まだ1年内の話である。環境と健康と地域社会を破壊していた農業食料システムを アフターコロナに取り戻しても、ウィルスではなく農業食料によって、地球と人の寿命は短命に終わるかもしれない。

モノカルチャーによる生命の大量生産 かなり早い段階から霊長類学者グドール氏はウィルスの世界的大流行は「人類が自然を無視し、動物を軽視したことに原因がある」と指摘していた。 「これは何年も前から予想されてきたことだ」とも。他の論者からも、野生動物の生態圏が破壊されたから人間の生活圏にウィルスを 持ち込むことになったとの指摘もある。野生動物がビジネスになったからこそ、武漢の市場に集められていたのだとも考えられる。

加えて、家畜を閉じ込めて大量生産する「工業的畜産」「加工型畜産」「集約型畜産施設(CAFO)」と呼ばれる畜産形態にも ウィルス発生の疑いが向けられている。ウィルスの発生と人への感染の実態はまだ分からないが、工業的畜産がウィルスの培養槽と なったことは充分考えられる。COVID19の前から、抗生物質を多用しすぎて耐性菌が脅威となり、 鳥インフルエンザ、狂牛病、豚インフルエンザ、豚コレラと家畜の病気が次々発生するなど、畜産現場は病んでいた。

豚の方が内臓が人間に似てるから感染しやすい、と聞いたのは、私が丹波で鶏や鴨を放し飼いしていたころだった。 同じ町内に数年前、鳥インフルエンザを発生させた浅田農産があり、私たちがいたころにも小規模な鳥インフルエンザが問題となったため、 「感染源」と目されていた野鳥との接触を避けるために鳥たちを密閉しろと指導が入った。 閉じ込める方がストレスが溜まって不健康になると抵抗した私たちに、 保健所のスタッフも、走り回る鳥たちを見ながら、ここの鳥たちは元気なのはわかりますけどね、と言われた。 現在また、豚コレラを防止する感染症予防対策として農林水産省は家畜放牧を禁止しようとしている。

自然界は植物も動物も、一つの種を一所に集めない。必ず植物も動物も微生物もウィルスも混ざった多様性のなかで生きている。 多様性があれば、弱い個体は食べられたとしても、同じ種の強い個体、免疫性や対応性を得た個体が生き延びて、種は生き延びる。 しかし、「商品」として輸出したり出荷したりする作物を「効率的」に栽培するため、産業としての農業では生物多様性が削られてきた。 かつてアンデスの民が多種類育てていたジャガイモは、現在では4〜5種が世界的に生産されている。 同時に、工業的農業に基づく私たちの食生活も単調化されてきた。これだけ多種多様な食品が溢れているのに! と思われるかもしれないが、ではなぜ、数種類の穀物・油糧種子の輸出が止められただけで騒ぐのだろう。 日本において、日清製粉と日本製粉の小麦粉、日清オイリオとJ オイルミルズの食用油、三井製糖と日新製糖の砂糖を 口にしないことがどれだけ難しいか、試してもらいたい。いずれも、150年前には常食していなかった食品であるにもかかわらず。 世界的には、「ABCD」と称されるアグリビジネスが「この世界には、自由市場で取引されている穀物など、一粒たりとも存在しない」と 豪語している。つまり、これら大企業が扱う数種類の食材に、私たちの食生活が依存している。

人と環境と地域社会の健康を第一にする「エコロジカル・パブリック・ヘルス」を 「アフターコロナ」の食と農についても、すでに多くの人が、より地域に根ざした、より持続可能な食と農を、 この危機をきっかけに見直すべきと述べているため、ここでは繰り返さない。ただ、「ショックドクトリン」のナオミ・クレインが 「コロナショック」を警告しているように、下手をすれば、このショックでより破壊的な社会が作られる危険性も充分ある。

見かけの経済成長を無理やり押し進めてきた資本主義的経済社会の世界において、パンデミックは自然現象ではなく人間が作り出した 経済社会の結果だったとの声も聞く。そのため、今後パンデミックは継続的な状態となるかもしれない。 経済は、もともとは「経世済民」として、世の中を治め、人民の苦しみを救うことを目的としていたはずだ。 パンデミックを乗り越えるために「命か経済か」ではなく、「命のための経済」を取り戻すことが重要だろう。弱者へのしわ寄せを防ぎつつ、 本来の、自然の恵みである農と生命の糧である食と、それを支える地域経済社会とを取り戻すきっかけになればと願っている。

(元となった講演(約90分)、参考文献、より詳細な原稿はAMネットブログにてご覧いただけます)

2020.06/報告 : 平賀 緑
(NPO法人 AMネット 理事)