河川交通は近代になって鉄道、トラックにその地位を奪われるまでは重要な役割を果たしてきました。
京都・伏見〜大坂間も淀川とその川沿いの「京街道」が主要交通として発達し、
「伏見」「淀」「枚方」「守口」の宿場町が発展すると共に、多くの人や物資が行き来する大動脈でした。
江戸末期には1日平均1500人の客 800トンの物資が運ばれていたと言われています。
また淀川は、洪水との闘いの歴史でもあり、治水という視点からも流域を見ていきま す。
今回はその大動脈の中間地点である「枚方宿」と枚方名物「くらわんか舟」の歴史を訪ねます。
淀川流域の過去と現在から見えて来るものは・・・・・?